連載企画!職人インタビュー【技と想いのバトン】第3弾 「幼き日の遊びが、38年の職人人生へ」
手仕事の先に見えた、職人の素顔

ajourの使命は、大切なジュエリーをお預かりし、蘇らせること。
その使命を一番身近で感じ、想いをかたちにしているのが、ジュエリー職人です。
本連載では、そんなajourのクラフトマンたちの想いや、職人になったきっかけ、そして普段身に着けているお気に入りのジュエリーなどをご紹介します。
第3回目は、ジュエリー職人歴38年の永元さん。
物心ついた頃からジュエリーづくりが身近にあったというベテラン職人の、これまでの歩みをお届けします。
ジュエリー職人までの道のり
幼少期の「遊び」からはじまった職人の第一歩

永元さんのご両親は、福岡県でジュエリー制作やリフォーム、時計修理を行うお店を営まれていました。
そのため、幼い頃から金属や工具が身近にある環境で育ち、自然と工房の世界に親しんでいったといいます。
小学生の頃には、壊れた時計を分解したり、針金でチェーンを編んだり、ロー付けしてブレスレットを作ったりと、遊びの延長で創作に夢中になっていたそうです。
その姿はまさに、ジュエリー職人としての第一歩を踏み出していた証でした。
中学生になると、家業の手伝いとして本格的に制作に関わるようになり、この頃にはすでに平打ちリングを作り上げていたといいます。
幼少期の「遊び」が、後の職人としての確かな礎を築いていたのです。
修業時代と独立
高校を卒業した18歳のとき、本格的にジュエリー職人としてのキャリアをスタート。
家業にとらわれず、外の世界でさまざまな技術や考え方に触れたいという思いから、7年間にわたり厳しい修業の日々を送ります。
その期間に多様な経験を重ね、どのような依頼にも応えられる確かなスキルを身につけ、25歳で独立。
以降、オーダーメイドジュエリーや手作り作品の制作を中心に活動してきました。
現在は株式会社オリエント4C’sに所属し、主にフルオーダーのジュエリー制作を担当。
長年の経験と技術を活かし、一つひとつの作品に命を吹き込んでいます。
クラフトマンとしての想い
信頼に応える職人でありたい

イベントでは、永元さんを指名して来場されるお客さまも多く、その人気ぶりがうかがえます。
お客さま一人ひとりに丁寧にヒアリングを行い、ジュエリーに込められた想いや物語をくみ取りながら、その先へとつなぐ。
永元さんは、そんな“つなぐ役割”を担えることに大きなやりがいを感じているといいます。
豊富な経験と柔軟な発想から生まれる提案の幅広さも、お客さまが永元さんを信頼する理由の一つです。
一番好きな作業は?

「誰にもできなかった作業かな。」
そう笑顔で答える永元さん。
他店で断られてしまった修理や、難易度の高い加工・制作をやり遂げた瞬間――
お客さまの大切なジュエリーが再び輝きを取り戻し、新たな物語へと受け継がれていく。
その瞬間に立ち会えることが、何よりもうれしいと語ります。
「やってよかった」と心から思える、満たされた瞬間なのだそうです。
印象に残っている制作

これまで数えきれないほどのジュエリーを手掛けてきた永元さん。
その中でも特に印象に残っているのが、直近で制作した作品が「JJAジュエリーデザインアワード2023」にて山梨県知事賞を受賞したこと。
「これまでの努力が形になったようで、本当にうれしかった」と振り返ります。
長年積み重ねてきた経験と技術が、名誉ある賞によって認められた瞬間でした。
今後の目標
次世代クラフトマンの育成

現在、永元さんが最も力を注いでいるのは「後輩の育成」。
「自分が先頭に立って引っ張るというより、これからは次世代のクラフトマンたちがこの業界を支えていく番です」と語ります。
現場で培ってきた経験をもとに、後輩一人ひとりの個性やセンスを尊重しながら、的確なアドバイスとフォローを行う。
若い職人たちが成長していく姿を見ることが、今の永元さんにとって何よりのやりがいだといいます。
長く業界を見つめてきたからこそ持つ“育てる視点”が、その言葉の端々ににじんでいました。
職人の日常

もう一つのクラフトマンとしての顔
永元さんにはもう一つの顔があります。
それは、バイクの金属パーツに彫りでモチーフや模様を描く「エングレービング(Engraving)」クリエイターとしての一面です。
趣味として始めた制作が評判を呼び、気づけば20年近く続くもう一つの仕事に。
モチーフでも柄でも「描けないものはない」と言い切るほどの表現力で、今では日本でも数少ない彫金技術を持つ職人の一人となっています。
もしもジュエリー職人じゃなかったら
「ジュエリーづくりは昔から大好きで、職人になるのは夢でした。でも、実はもう一つ憧れていたことがあるんです。」それは「料理人」、しかも“板前”。
切り方や味付け次第で、一つの素材からさまざまな表情が生まれることに魅力を感じていたそうです。
「料理って、ちょっとした工夫で全然違う世界になるのが面白くて」と笑う永元さん。
ただ、高校卒業と同時に弟子入りが決まっていたため、当時この話をした際にはお父様に叱られたそうです。
最終的にはジュエリーの道を選びましたが、今でも自宅で料理を楽しんでおり、出勤時には手作り弁当を持参。
好きなものをたっぷり詰め込み、仕事への活力につなげているそうです。
“素材の魅力を引き出す”という点では、料理もジュエリーも通じるところがあるのかもしれません。
職人のMy Favorite Jewery
永元さんが普段身に着けているアクセサリーは、鍵以外の金属パーツすべてをご自身で制作されたもの。
中でも特別な想いが込められているのが、薬指の十字架リングの下に重ねて着けている結婚指輪です。
この指輪は、なんとUSドル硬貨から作られたもの。
硬貨の中心をくり抜き、丁寧に加工して仕上げたといいます。
地元・福岡を離れて単身赴任する際、家族への想いを込めて自ら制作したというその指輪には、職人ならではの技術と深い愛情が詰まっています。
編集後記(社内プレス担当より)
38年にわたる職人としての人生の中で、積み重ねてきた技術と人とのつながり。
永元さんの言葉の一つひとつからは、ジュエリーづくりへの真摯な姿勢と、後進への温かな眼差しが伝わってきました。
これからも、ajourのクラフトマンたちの手から多くのジュエリーが新たな物語を紡いでいきます。